オスカー・ニーマイヤー

国立近代美術館で開催されている「ボディ・ノスタルジア」の関連で、CASAブルータス編集部の人と建築史家の五十嵐太郎という人によるニーマイヤーの建築に関する解説のイベントがあったので聞きに行った。

56〜60年のわずか5年間でブラジリアという新首都を作るプロジェクトの建築を担当したのがニーマイヤーだ。

まずこの都市のパイロットプランについて、1500年にポルトガル人がこの土地を「発見」した際に最初に行ったのが巨大な十字架を建てその土地の領有が宣言されたエピソードが示され、ブラジリアの都市デザインに十字架の形が採用されたとする説とその理由とされた。

続けてその説を補強するとして、インディオの狩りの儀式に見られる弓矢の形とも解釈できるとした。

こうした、他のものの形態に見立てた記号的な解釈の手法は、おそらく作者の意図を正確に読み取っているものではあろうが、いささか古さを感じざるを得なかった。

さて、以前は赤土が広がる砂漠だったという地に、新奇な建築物で満たされたいわゆる計画都市が建築されたのがブラジリアだ。当初は内外からの多くの批判にさらされたというのはたやすく想像できる。

一方議論はさらに、この都市が建築されてから40年以上が経過し、殺風景だった土地も今では緑が豊かに取り入れられ、人と自然の共存という観点から見ても何ら違和を感じさせない景観になった、それを持ってこの都市建設は成功であったという解釈が述べられた。

さてしかし、今の段階でこの建築が成功か失敗かを問うてもしかたがないような気がする。今評価すべきはむしろ、この建築がその後の建築の発展にどのような影響をもたらしたのかもたらさなかったのか、また現在住む人びとの価値観や周辺環境に照らし合わせたときにどれだけのインパクトを保ち続けているのかいないのかなどの検証だろう。
50年代から現在までブラジリアに住み続けてきたという観客のひとりがいみじくも発言されていたように、観念を振り回す前に身体で感じてみることこそがそれらの回答を教えてくれるのかもしれない。

というわけで、9月にはぜひブラジリアを訪れてみたいと思う。