誰にでも救助を求める権利があるのか

イラクで過激派に人質とされた女性はNHKの取材に対し、個人の力で何ができるか試してみたいといったような趣旨の発言をしていたようだ。
普通の人なら敢えて選ばないような行動を取ることにより、自分の価値を確かめたいという感情は多くの人が持つ。しかしそれは単なる興味本位の自己満足に終わる場合が多いことも事実だろう。
今のイラクは誰が見ても無法国家状態であり、そこに例え幻想に過ぎないような使命感に駆られていたとはいえ、丸腰でのこのこ出かけていけば例え命を落としたとしても文句は言えまい。

さて、そうした興味本位の自分探しの結果生命の危険にさらされた国民がいるからといって、そのすべてを国家が救助しなければならないのだろうか。昔アマゾンの川下り中に現地人に殺された早稲田の学生もいたように、「冒険家」の称号を得るためには隣り合わせの死を甘んじて受け入れなければならないことは間違いないだろう。

あらかじめ危険が十二分に予測できる場所に出かけて行く人間には、自己責任がより厳しく求められてしかるべきだろう。事前に何が起ころうとすべて受け入れる旨の宣誓書でも提出させればこんな問題も起こらないのではないか。