何が美しくて何が美しくないのか

人間はどのようなメカニズムでものの美醜を判断するのか。エル=グレコミケランジェロの色の使い方を批判したというが、その根拠は客観的に説明できるものだろうか。

もし脳のどこかの部位で美しいものと美しくないものを選り分けているのならば、それは先天的に持っている感覚なのか、それとも後天的に養われた感覚なのだろうか。

人は絵画を見て色が美しいなどと価値判断するが、それは大部分の人の間に共通して存在する通念的な美意識と、個々に差異がある感性の、少なくとも二層の重なりがあるだろう。

通念的美意識には、文化的な背景が多分に影響を与えるだろう。例えば西洋と東洋では美の通念は確実に異なっているだろうというふうにだ。そう考えると、通念的美意識は大方後天的なものと考えるのが妥当なのではないか。

一方、個々の美的感覚は必ずしも後天的とばかりはいえないかもしれない。例えば音楽で「絶対音感」という言葉が取り沙汰されるが、「絶対美感」のようなものも存在するのかもしれない。

でも存在するとして誰がそれを評価するのか?音感と違って難しいだろう。今までに営々と築かれてきた美の価値体系の中におさまっていることが前提となるならば、評価することそのものの意味がないとも言える。

何が美しくて何が美しくないかという概念は、美術史家や美術界のおえらい先生などによって格付けされることによって「産み出されてきた」ようなものでもあるのではないか。その前提が正しいならば、「美」なんてものは実に恣意的な感覚に過ぎなくて他人に押し付けられるような性格のものではない、つまり、「美」は表現者の数だけ存在するとしても過言ではないと思うが、この考え間違っているだろうか。