SHOKU

三茶のシアタートラムで黒田育世振付けの「SHOKU」を見た。ダンスの公演は初めてだが、なかなか刺激的だった。

身体の内側と外側が薄い皮膚一枚で区切られていることの不思議さを表現するという意図で演出された作品だがかなり内向的な印象を受けた。

ダンサーたちが激しく床に倒れる動作をひたすら繰り返すシーンについて、ポストパフォーマンストークで、同じ動作を限界まで繰り返すことで見えてくるものがあるといった意味のことを語っていたのが象徴的だ。ひたすらストイックに内側に掘り下げていこうという強い意志が感じられる。

これを追求していけば行き着くところは「死」ということになるだろうか。しかし表現の行き着く場所が容易に計算できてしまうことをつづけても、それはある意味不毛といえるかもしれない。舞台の上で演者が実際に死ぬことにまさるパフォーマンスはあり得ないからだ。

そうした意味で全く新しい表現が現出してくる可能性の低いメディアなのかもしれないが他の作品も今少し興味を持って見てみよう。