「新しい発想」は本当に新しいのか

先日まで受講していた「編集学校」で、与えられた課題に対してときたまポコリと自分が今までしていなかったような発想なりコトバなりが出てくることがあった。ではその発想なりコトバを普遍化、内在化し、いつでも引出し可能にするにはどうすればよいか。

これには長く遠い道を歩むしかない気がする。スポーツでもそうだが同じ動作の訓練を反復することによりその動作が自然にできるようになる。それと同じように同じ思考訓練を反復することでその思考方法が定着するという考え方である。しかしそう考えると反復された思考というのはそれ自体すでに新しいものを拒絶する態度に結びつくのではないかという堂々巡りの疑問にぶつかってしまう。

発想法の類は書籍でもよく見るテーマだが、私が読んだ本でひたすら自分が発想したいものにコミットして考え続けるのが解だと書いてあるものがあった。その伝でいくと新しい発想というのは突然天から降ってくるものではなく、今まで自分の中に培ってきた知識、経験を総動員した先にあるもの、逆に言えばその範疇を超えたものは生まれ得ないということになろう。

最初の議論に戻れば、自分が今までしていなかった発想というのは錯覚であり、すでに自分の中にあったものが複合したり反応したりして、自分で新しいと感じてしまうコトバとして生まれ出たのだということになる。。